2009年7月31日金曜日

□大会実行委員長挨拶 蛭川 立(明治大学情報コミュニケーション学部・意識情報学研究所)

 トランスパーソナル心理学は、もともと臨床的な色彩の強い分野であり、さらに社会的な運動へと発展していく志向性を持つ分野でもあります。その発祥は、ベトナム戦争期の欧米、とくにアメリカ西海岸を中心とする中産階級の白人文化と切り離して考えることはできません。戦争と救命医療の進歩が臨死体験者を増加させ、西洋文明の行き詰まりの感覚から東洋思想への関心が高まり、禅やヨーガなどの実践が広まり、先住民文化の再評価とカウンターカルチャーはサイケデリックスの使用と結びついていきます。
 その過程で彼[女]らが体験した、さまざまな変性意識状態や超心理現象は、西洋で心理学が科学として確立していく過程で、陰の部分として周縁化されてきたものでした。しかし、それらを扱うことができる総合的な心理学があらためて求められてきたとき、形成されていったのがトランスパーソナル心理学だったといえるでしょう。
 それが文化的な文脈の異なる80年代以降の日本に輸入されたとき、その原点がぼやけてしまったという感は否めません。それから20年以上の時間をかけて、トランスパーソナルという言葉自体はカタカナ語としては徐々に定着してきましたが、かならずしも学術的な研究が盛んになってきたとは言いがたい状況にあります。そして一方では単純な癒しブームや、玉石混淆のスピリチュアル文化と混同されたり、あるいは世直し運動の道具として、その本質がよく理解されないまま安易に名前だけが利用されてきたということも少なくありません。
 私は、トランスパーソナル心理学というディシプリンは、もっと特殊で先鋭的な問題を扱う分野であると考えています。たとえば、臨死体験や祈祷による病気治療のような、超心理学と重複するような現象、あるいは、サイケデリック体験やクンダリニー現象など、現代の日本ではそれらを経験する人々自体が少数であるがゆえにあまり問題にされていないけれども、じつは時代や文化を超えた普遍的な、それゆえ人類全体にとって本質的な問題をはらんだ現象、しかし他の心理学の分野では扱うことのできない現象が存在すること、それがトランスパーソナル心理学が存在し、必要とされる所以であると考えます。
 本学会の年次大会も10周年を迎える節目の年でもあり、もう一度原点に戻って、なぜトランスパーソナル心理学という分野が必要なのか、それに何ができるのか(あるいは、必要ないとしたら代わりに何が必要か)ということを、皆さんと一緒に考えたいと思っています。